昨年暮れ、旧歓楽寺遺跡へ久しぶりに登った。九鬼ヶ坂をおりきった小道を右手に入るともう道はないように見えるのだが、山側のすすきをヒョイと飛び越えると、まるで異世界へ通じるような道が続いている。小さなハイキング気分で山を登れる。うっそうとする杉と赤松、だいぶ登ったところで寺跡にでる。植林はされているが、石組や礎石が残っており、ここにかなりの規模の建物があったのだろうということが推察される。そこはまだシンとした静寂が支配する世界だが、少し下って仁王門跡を左に入ると、埋墓の跡に出る。中世には、山城であったという記録がある。何とも言えない霊気がただよう。
卒塔婆のような柱が山状に積み上げられた石で支えられている。よくみると天然石にまじって墓石や小さな五輪の塔がななめに無造作に置かれていたりする。誰がどうしてこれを作ったのか?
土地の中央に巨木が倒れていて、何かを抑えて伏せているように見える。巨大な爬虫類のようにも、光の加減で見えるからなんとも不気味。いったい、いつ、この木は倒れたのか、何故、五輪の塔はななめに置かれているのか。明治期の火事で移転した時のことなのか、もっと前、山城であった時の出来事なのか。そんなことを考えていると頭の中に鋭いメッセージのようなものが浮かんだ。それは「滅ぶもまたよろし」というものだった。
いったい地球や人々の暮らす地域や世界が大きな一つの生物であるように思えることがある。どこかが病気になったり、悪いものがたまったりしたら、弱らせ、傷口をきったりして快方に向かおうとするのであろう。そう考えると今の困難も納得できる気がする。間違ってたから治そうとしてるのだと。切られるほうに身を置くのは辛いが、悪いこともまたよいことであるに違いないのだ。
しかし、正月明け、最初に私がした仕事は、このメッセージに反することだった。
2009年01月13日
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