2009年04月21日

ど過疎貧乏物語 2.7 1冊の本

 田に水が入り、早苗が植えられ、回りの山々や空を映す今の景色がとても好きです。
ぐんぐん伸びていく緑に辟易しながら、その生命力の強さに圧倒されます。
 私が美山町に移り住んで18年が過ぎました。2歳だった長男も今年成人式をむかえます。
この18年間程、村がもの凄い勢いで変わった時はなかったのではないでしょうか。
農協合併、町村合併を経て、加速する過疎に追われ、町は限界集落へと突入していきます。
その過程を美山農産加工組合の世話役としてずっと見つめてきました。
農産加工の活動の中で自分の宝物と思える経験が2つあります。
ひとつは生活改善グループや農協婦人部、地域婦人会などの活動からうまれた、こんにゃく、みそ、漬物などの様々な農産加工グループの女性たちとの出会いです。宝物のような
女性たち。それから、彼女らを支え、育て、励ましてきた生活改良普及員さん達との出会いです。
 今私の手元に出来立てホヤホヤの1冊の本があります。京都農村生活研究会(京都府職の普及員さんの勉強会)が出した「生活改良普及って知ってはりますか」という本です。
今、国や府県の中では普及活動の中で生活分野は役割を終えたとし、縮小され、予算もつきませんし、
制度も廃止寸前です。この本はそんな中で腹ふくるる思いで、せめて自分達のやってきたことの記録を残そうとする試みです。この本を読めば無権利状態であった農家の女性がどうやって、物言う嫁になっていったか、事業を起こし、変わっていったか、どういう努力が影にあったのか
分かります。10数年前私は1人の元生活改良普及員さんの田中友子さん「家計簿はね、農家の経済の全体を把握することで、嫁の立場や権利を強くするためのものだったんですよ。料理講習はね、物を言えない人が多い中で、人の話を聴く。実際にやる。それに対しておいしいとか、
同じに作ったのに味が違うとかね、自分の意見を言う訓練だったんです」とおっしゃいました。
彼女らの活動にふれるにつけ、当時NGOとしてアジアの村づくりに係わり、行き詰っていら私は頭をなぐられた気がしました。この人達に膝をおって学びたいと思ったものです。
 地域づくりや農村の暮らしに興味のある方に、是非読んでいただきたい本です。
(「生活改良普及員って知ってはりますかー農家とともに豊かな暮らしを求めて」問合せ先 京都農村生活研究会
〒621-0814 京都府亀岡市三宅町94-1 佐藤方)
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2009年03月31日

ど過疎貧乏物語 2.6   10年後

18年前、この地へ越して来たとき農業の主軸は5,60代であった。今その方達がそのまま歳をとり農業の主軸は70代である。どこの中山間地もそうであろうが、10年たったら、農業は壊滅的になるであろう。われわれの代(40代後半から50代)家庭菜園ですらする人はまれで、まして出荷などとは考えもしない。庭のような農地を守るのがやっとこさ。人の食べる物までは面倒みきれないのが現状である。
日本の農家のほとんどが兼業農家であることを思えば、10年後にはレストランは地場の野菜などを得るのは大変難しいなんていうことも冗談でなくなると思う。業務用バターが全然手に入らなくなった2年間は記憶に新しいけれど、あれと同じく、あらゆるものが手に入らなくなるだろう。けっして大げさなことを言っているのではありません。私の住む集落も20年とくらべれば、あの家も空家、あそこもいない。あの田んぼも時間の問題、顔をひとつひとつ思い浮かべれば納得する。間違いなく壊滅状態になって田地は山化するだろう。
先日息子のアルバイト先の店長さんが生産農家を求めて美山へやってきた。彼はこの事実を知っているのか、いないのか。今から関係をつけて、なおかつ作り手を育てることからしないと、10年後には良い材料は手に入らない。新しい産直が必要なのだと思う。受容者が村に来て生産に携わる、一歩踏み込んだ産直。
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2009年02月26日

ど過疎貧乏物語2.5 実験

 合併により仕事がなくなり、過疎が加速してやってくる中で、どうにか村で仕事を起こして出て行かなくてもいいようにやっていけないか、ずっと考えてきました。基幹産業はとうにダメなので、頼るは新しくおきた観光でした。全国的に注目され、有名になったかやぶき観光ですが、集客数は70万と多いのですが、お金を村に落としてもらうシステムではまだまだで、観光客1人あたり750円とも1050円とも言われています。6000円以上の白川郷とくらべると工夫が足りないのは明らかです。ではどうしたら村に金が落ち、食べていける観光になるのでしょうか。
 美山農産加工組合をつくって観光バスの車内販売に取組み昨年は330万の売上をあげました。商品の引渡し場所を道の駅にすることで、かやぶきの里(北村)からストレートに山形屋に行ってしまうバスをふらっと美山の前にとめ、買い物をしてもらえるように誘導しました。おそらく併せて500万程度の経済効果はあったのではないかと思います。また物質的でない効果としては美山牛乳の工場や道の駅を見てもらうことで、特産品としての美山牛乳の認識や今度マイカーできたらここで買い物をしようという知識も残ったと思います。けれど、これでは食べれる観光にはまだまだ足りない。
 私どもは美山牛乳のチーズケーキやゆばぼうろ、ごまサブレなどのお土産物で主に生計を建ててますが、実感として感じるのは、工場でバッコン、バッコンとつくるお菓子だと別ですが、手作りで一つ一つつくるお菓子では、あまり利益があがらないということです。売れれば売れるほど、大変さが増すだけという現実もあります。もちろん、よい商品は手間がかかってもつくり続けていくのですが、他に何をしたらいいのでしょうか。
 昨年からひとつの実験をしています。車内販売で知り合った傾向のいい旅行社を選んでツアー造成から手伝い、旅のコーディネートを引き受けるというものです。昼食や体験、普通ではみれないところの見学、地元の人に講師になってもらったり、ガイドをしてもらったりしています。働きかけても働きかけても無視される場合も多いのですが、二つだけ引き受けてくれるツアー会社がありました。やってみてびっくり、2回とも1日で10万を超える仕事になりました。ここに可能性はないか?
 美山農産加工組合として旅行社に呼びかけてるツアーは、歩くツアー3コースのアレンジ、湯葉工場見学、湯葉料理づくしツアーや郷土食体験ツアーなどがあります。心ある旅行社が応じてくれて、暖かい地元ならではのツアーが組めますように。講師となって活躍していただける地元の方にお礼と元気があげられますように。
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2009年02月18日

ど過疎貧乏物語2.4 プロフェッショナル

 NHKのプロフェッショナルという番組で日吉町森林組合の湯浅勲さんのことをやっていました。番組だけではよく分からなかったのですが、日吉町森林組合のホームページに入っていってびっくりしました。隣町なのに全然知らなかったのですが、なんとこの人達は山という山を(勝手に)踏破し、再生のプログラムをたて、そのプログラムをもって山主にハンコをついてもらいに行っているのでした。山仕事の技術者と山主の間にある封建的な雇用形態も無視し、山の技術者を森林組合の常勤職員にし、意欲とコスト削減を引き出し経済的たちゆくようにしているばかりでなく、意欲のない山主から山を買い意欲のある山主に売るということまでやっている。びっくり!湯浅氏のところへは全国から視察や相談が絶えないとのこと。
 どうしてそんなことができるのだろう。補助金付けの腐った世界であったことは同様で、いじめや引き落としもやはりあったに違いない。どうして彼は、変えることができたのだろう。そこを聴きたいのだが、司会は「えっ、熊にあったらどうするんですか」なんて、どうでもいいことばかり聞いてる。
 でも何も聞かなくても、湯浅氏のしゃべりかたと目を見てればどうやったのか分かる気がする。こんな人が近くで呼吸をしていると思うだけで心の芯が温かくなる。あきらめずに信じてやってみようという気になる。久しぶりにいいものを見せてもらいました。
 ありがとう。

posted by hanamizukimiyama at 23:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月06日

ど過疎貧乏物語 2.3 雪は資源か

雪は資源になり得るのか。できる、と考える。1月の大雪のあと、道の駅ふれあい広場に土建屋さんに雪を集めてもらい大きな滑り台と鎌倉を作りました。急な取組だったので、松村夫妻には手助け本当にお世話になりました。かやぶきの里の雪灯篭に来る観光バスで車販を取り扱ってくれるバスに、「よい撮影スポットがありますので、是非道の駅にも立ち寄って下さい」とお願いすると、快くOKしてくれました。なかなか理解が得られず、つくるのに苦労しましたが、雪のモニュメントのために、観光バスが述べ5台道の駅で停まり、買い物をしてくれることになりました。
冬場お客さんの少ない時期には、売れ残った弁当やサンドイッチが4時を過ぎると半額で並びます。納入業者の一人として、それを見ると心が痛みます。ふらっと美山は委託販売制なので、直接不利益はこうむりません。納入業者はすべてかぶります。仕入れた分の費用は出るのか、ここまで運ぶガソリン代や人件費を考えたら赤字だろうなあ。どうにかして、道の駅にバスを停め、ここで買い物してほしい。わずか5台ですが、バスをひっぱってこられたのは嬉しい。
雪は苦労だとばかり思っている地域の人に、雪は資源になることを少しでも証明できたのではないかと思っています。

posted by hanamizukimiyama at 10:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

ど過疎貧乏物語2-2 妄想

ここ数年、というか数ヶ月、妄想にとりつかれている。
合併それに引き続くリストラがあまりに厳しく、今どこの地方でもそうだと思うが、潰れる土建屋や建築不況で仕事を失う大工さん、中心を失うことで仕事を失った商店があふれている。色んなニュース、しかも決まってよくないニュースが聴こえてくるたびに、そこに生きる人ひとを思い胸がはりさけそうになる。
妄想は「美山町で観光産業で7億の仕事を新たにつくれないか、いやつくれる」というものである。7億の根拠ははなはだあいまいで、一家族村に残るのに必要な生活費が350万だとしたら700万の売上をつくれればいい、7千万なら10家族、7億なら100家族残れるというものにすぎない。ではどうやって実現するのか?
1月6日正月明けの初仕事は「ふらっと美山」の株式会社化をすすめる幹事会で将来の構想を練ることだった。ここで私はどうしたら7億の仕事をつくれるのか説明した。「農協が閉じた店舗のふらっと美山は、観光客へのお土産物屋として今1億7千万の売上があります。美山は平成4年以来のかやぶき観光開発で入れ込み客数はすごい数ですが、昼食はよそで食べてくる、オプション夕食も美山が最終地であるにもかかわらず、よそで積むなど、たくさんくる観光バスはほとんど地元にお金をおとさないのが特徴です。これをなんとかできないものか。つまり第1ステージはふらっと美山が2億の売上をあげるまでです。これは@小売のみでなく飲食業をはじめること Aお土産物の新たな新商品開発 B観光バス相手の車販やオプション夕食、夜のおにぎりなどの仕事をはじめることで実現します。
第2ステージはふらっと美山が3億になることです。これは現在ほとんどかやぶき観光のウマミをとられている丹波篠山の玉水さんたちがやっていることをやることです。@ツアー造成をし、売込にいく A200人規模の昼食がとれる施設で、バイキング(地元の業者がおかずをもちよればいい) B土井の志ば漬け、丹波お菓子館、丹波ワイナリーなどによって来るバスが多いが、同じ様な工夫、味見ができる、お茶が飲める、見せて売る工夫などをする 第3ステージはふらっと4億〜5億 アジアをはじめ海外の滞在型観光客を積極的に誘致、京都市内から1時間半の地の利を生かして京都市内観光と組み合わせればとてつもない可能性、特に冬場の雪見観光はアジアの客をひっぱれる魅力があるはず」
 妄想ですが、本気で考えています。でも、問題はこんなに村が追い詰められた状況にも関わらず、本気で何か考えている人がいないこと。あるいはいてもバラバラなこと。

posted by hanamizukimiyama at 15:03| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月13日

ど過疎貧乏物語 2   メッセージ 草地康子

 昨年暮れ、旧歓楽寺遺跡へ久しぶりに登った。九鬼ヶ坂をおりきった小道を右手に入るともう道はないように見えるのだが、山側のすすきをヒョイと飛び越えると、まるで異世界へ通じるような道が続いている。小さなハイキング気分で山を登れる。うっそうとする杉と赤松、だいぶ登ったところで寺跡にでる。植林はされているが、石組や礎石が残っており、ここにかなりの規模の建物があったのだろうということが推察される。そこはまだシンとした静寂が支配する世界だが、少し下って仁王門跡を左に入ると、埋墓の跡に出る。中世には、山城であったという記録がある。何とも言えない霊気がただよう。
 卒塔婆のような柱が山状に積み上げられた石で支えられている。よくみると天然石にまじって墓石や小さな五輪の塔がななめに無造作に置かれていたりする。誰がどうしてこれを作ったのか?
 土地の中央に巨木が倒れていて、何かを抑えて伏せているように見える。巨大な爬虫類のようにも、光の加減で見えるからなんとも不気味。いったい、いつ、この木は倒れたのか、何故、五輪の塔はななめに置かれているのか。明治期の火事で移転した時のことなのか、もっと前、山城であった時の出来事なのか。そんなことを考えていると頭の中に鋭いメッセージのようなものが浮かんだ。それは「滅ぶもまたよろし」というものだった。
 いったい地球や人々の暮らす地域や世界が大きな一つの生物であるように思えることがある。どこかが病気になったり、悪いものがたまったりしたら、弱らせ、傷口をきったりして快方に向かおうとするのであろう。そう考えると今の困難も納得できる気がする。間違ってたから治そうとしてるのだと。切られるほうに身を置くのは辛いが、悪いこともまたよいことであるに違いないのだ。
しかし、正月明け、最初に私がした仕事は、このメッセージに反することだった。

posted by hanamizukimiyama at 23:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

あん子日記  ラスト

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ただ今リハーサル中。昼過ぎから機材を雪のなか設営されていた。生中継のメインの現場でそれに出演なんて今日だけだろうな。だから、スタッフの方たちの様子や機材など覚えられることはずっと忘れずにいたい。懐かしい靴を履いているスタッフがいはった。司会の方たちはお正月らしく着物を着てはる。そして、お姉さまの夢だった農産加工で一緒にやってきたおばあちゃまたちの事を発表することができるとても良いチャンス。その他書ききれないことがいっぱいある。あん子日記最後にこんなステキなことがあって嬉しいです。それから、私の拙い文章を読んでくださったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。来月からは草地康子にバトンタッチします。今年も残りわずか。来年もみなさんにとってステキな一年となりますように!
posted by hanamizukimiyama at 21:55| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月30日

あん子日記  今年ラストの滝

今年ラストの滝までの散歩をしてきた。雪が少し積もっていたので歩きにくかった。明日から雪が降り続くらしいので、滝に行けるのはしばらくお預けだ。雪景色の滝もよかった。ここで“道は雪が積もることも、凍ることもあり、見えなくなることもある。しかし、必ず暖かい春がやってくる。”と、こんなことを考えていた。そして、明日のための充電をいっぱいした。それから、あん子日記は明日で最後となります。
posted by hanamizukimiyama at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月29日

あん子日記  今年いちばん

今日は今年いちばんの大仕事をした。この仕事を終えて今年やった劇を思い出した。私はかめの役で、私とかめは似てない…と思っていたが、今ではこの劇のかめそのままだ…と自分でも思う。劇を見た友達にも言われる。だから、とてもこのかめ「トランキラ」に愛着を感じる。で、1月31日にまたこの劇の発表がある。楽しみだ!
〜かめは昼間じゅう考え、夜も眠らず考えて、やっと心を決めました。朝日が昇るのと一緒にトランキラは歩き出しました。一歩一歩ゆっくりと、けれど、決して立ち止まることなく…〜
posted by hanamizukimiyama at 19:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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